人生、しみじみと・・・

一児のパパTonyが、日頃のあれやこれやを斬ります。

あれから7年〜3.11東日本大震災

3.11東日本大震災から7年経ちました。

まずは、かの災害で亡くなられた方々の御霊に、謹んで哀悼を捧げます。


東日本大震災は、2011年3月11日午後2時46分に関東・東北の太平洋沿岸部一帯を襲った最大マグニチュード9.0の巨大地震で、建物倒壊・火災や大津波により、死者・行方不明者1万8,434人、建築物の全壊・半壊合わせて40万2,699戸の被害をもたらした大災害です。


震災後、福島第一・第二原発の原子力事故に関しては大きくクローズアップされています(勿論こちらも深刻な被害です)が、地震による建物倒壊や大津波で亡くなった方々のドキュメントは、震災発生当時は兎も角として、その後あまり詳しく伝えられてこなかったように感じるのは私だけでしょうか?


発生直後のニュースなどで、町が波に飲み込まれて行く様子、人々が逃げ惑う様子などの映像を観たときの衝撃は、今も忘れられません。

また、被災された方々が語る、家族や友人が亡くなられた時の生々しいエピソードには、涙が止まりませんでした。


私の今は亡き父の故郷岩手県陸前高田市は、震災前はあまり有名ではありませんでしたが、皮肉にも大被害のニュース映像で全国的に知られるようになりました。

父の実家は、津波被害の大きかった街の中心部からは少し離れており、奇跡的にすんでのところで津波は免れましたが、家の周りは酷い状態でした。

また、その一方で残念ながら、街の中心部に住んでいた叔父と従姉が亡くなりました。

叔父や従姉には沢山の思い出がありましたので、その知らせを聞いた時には、とても辛かったです。

小さい頃からよく家族で帰省し、従兄弟たちと山で遊び、高校生の時には友達と一緒に行って海水浴をしたり、祭りを見物したりしたことなどの思い出がありますが、あののどかだった街は大震災の一瞬で姿形がすっかり変わってしまい、今はもう見る影もありません。


福島原発も含めて、東北の復興はまだまだ進んでいないというニュースが流れますが、この東日本大震災の記憶は決して風化させず、亡くなられた方々の無念や願い、そして教訓を忘れずに、一日も早い再生を祈っております。


ふと昔のアルバムを開いてみたら、高校時代に友達と陸前高田の田舎に遊びに行ったときの写真が出てきました。

どれも震災以降は見られなくなった風景です。

祭りの写真とプライベートショットですが、その一部を載せておきます。


《陸前高田市の画像》1979年8月7日撮影